コンビニの弁当でさえ、ブランドを守るために残り物は廃棄せよと言っているのに、吉兆の老舗は残り物まで使いまわしにし、それで正規の値段を取っていたのである。
食わされた客、もっとも食べなかった客たちは次の客のために、使いまわされたのであるし、情連は必ず使いまわしの料理をあてがわれている。
こういう状況があったにも関わらず、訴訟が起きていない。
たぶん、デパートで売っている惣菜も使いまわしたお古を加熱処理して出していたのではなかろうか?
吉兆憎むべし!
<ソニー>ウォークマン30歳 時代変わり劣勢…ブランド復活目指す
7月4日12時52分配信 毎日新聞
ソニーの携帯音楽プレーヤー「ウォークマン」が、7月で発売30周年を迎えた。「いつでも、どこでも音楽が聴ける」スタイルは若者を中心に世界的に広がり、生活と文化を一変させた。しかし、21世紀のインターネット時代に入ると、01年に登場した米アップルの「iPod(アイポッド)」の人気に圧倒され、主役は交代。節目の年に、ソニーはヘッドホン一体型のウォークマンなどで反撃、ブランドの復活を目指している。【高橋昌紀】
ウォークマンの誕生はソニー創業者、故井深大氏(当時・名誉会長)が「海外出張の機内で聴けるカセットステレオを」と要望したのが始まり。技術陣は画期的な小型ヘッドホンや充電池を開発、79年7月に初代ウォークマン(当時の価格は3万3000円)の発売にこぎ着けた。
商品はシリーズ化して進化を続け、90年には手のひらサイズまでに小型化。媒体もカセットテープからCD、MDなどへと変わり、今年3月末までの累計販売台数は約3億8500万台となった。
しかし、アイポッドの発売で、ソニーの優位はもろくも崩れる。インターネットで1曲ずつ音楽を購入できる時代にマッチしたアイポッドはデザインの斬新さもあって、携帯音楽市場を席巻。調査会社GfKジャパンによると、08年の国内販売シェアはアイポッドの55・2%に対して、ウォークマンのシェアは31・3%にとどまるなど劣勢だ。
ソニーは今年6月、耳にかけるだけのヘッドホン一体型の新型機種(ソニーの通販価格は9980円)を発表。「初代ウォークマン発売時と変わらぬ最小・最軽量への挑戦を続ける」と、巻き返しを狙う。
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最終更新:7月4日16時46分
毎日新聞
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宮内義彦
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宮内 義彦(みやうち よしひこ、1935年9月13日 - )は、兵庫県神戸市出身の実業家。オリックス株式会社取締役兼代表執行役会長・グループCEO。日本経団連副議長・日本取締役協会会長・ソニーの取締役を兼務し、日本プロ野球・パ・リーグに加盟するオリックス・バファローズのオーナーも務める。
目次
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* 1 経歴・人物
* 2 政府の規制改革会議議長などを歴任
* 3 かんぽの宿・払い下げ問題
* 4 派遣切りとの関連
* 5 球団オーナーとして
o 5.1 プロ野球再編問題での評価
* 6 関連項目
o 6.1 球界
o 6.2 政界・財界
* 7 脚注
* 8 外部リンク
経歴・人物 [編集]
関西学院中学部・高等部を経て、関西学院大学商学部卒業。在学中は関西学院グリークラブに所属する。1958年に同校を卒業し渡米。ワシントン大学大学院でMBAを取得。1960年に帰国し、日綿實業に入社。1964年、日綿が三和銀行と共にオリエント・リースを設立すると、その旗揚げメンバーとして移籍。1980年、2代目社長の乾恒雄の後任として代表取締役社長に就任。2000年、同会長(2003年の委員会等設置会社移行に伴い取締役兼代表執行役会長)に就く。1980年社長就任後、経済同友会にも入会、さらに政府の規制改革に15年にわたって関わった。経済同友会時代の人脈、また出身の神戸ゆかりの人脈から、元日本郵政公社総裁の生田正治や、ザ・アールの奥谷禮子らと親しい。
政府の規制改革会議議長などを歴任 [編集]
* 豊かな暮らし部会(1991年 部会長は細川護煕元首相)
* 規制緩和小委員会 座長
* 行政改革推進本部・規制緩和委員会委員長(1998年 小渕恵三内閣)
* 行政改革推進本部・規制改革委員会委員長(1999年〜)
* 総合規制改革会議議長(小泉純一郎内閣)
* 規制改革・民間開放推進会議議長(小泉純一郎内閣 〜2006年)
政界と強力なコネクションを持ち、規制改革関連の審議会の長を10年以上歴任した。
小泉内閣での総合規制改革会議で、2002年には、製造業における労働者派遣事業の解禁を内閣に答申した[1]。
また郵政民営化なども審議されていたが、後に答申は経済財政諮問会議に一元化されることとなり、規制改革会議の意向は議長の宮内がまとめて経済財政諮問会議に伝えていくことになった[2][3]。なお、この間、内閣府設置法に基づく規則で定められた議事録が3年間にわたって作成されていないことがのちになって判明した[4]。そのため、会議で誰がどのような提案をし、反対をしたかが分からず、全体を要約した「議事概要」としての資料しか残っていない。内閣府設置法の総合規制改革会議令に基づく同会議運営規則は「議長は議事録を作成し、一定の期間を経過した後に公表する」と定めている。しかし、議長の宮内はこの件に関し、一切の説明も責任もとらないまま、同会議は2004年3月末で廃止され、宮内会長が引き続き議長を務める『規制改革・民間開放推進会議』に引き継がれた。
市場原理主義の信奉者として知られ、混合診療の採用や労働保険の民間開放などを持論としている。派遣労働の規制撤廃も実現した。自ら長を務める審議会において「市場経済による競争社会は強いものが弱いものを取り込む「弱肉強食」社会ではなく、優れたものは消費者に支持され、劣ったものは消費者に支持されず消えていくという当たり前の社会、「優勝劣敗」の社会である」と持論を述べた上で規制緩和を実施し、同時に自らが保有する企業規模の拡大を図った。そのため、「国民の命と健康を軽視している」との批判もあり、「政商」と揶揄される事もある[5]。
かんぽの宿・払い下げ問題 [編集]
日本郵政の所管大臣である鳩山邦夫総務相(当時)は、2009年(平成21年)1月6日に日本郵政が保養・宿泊施設「かんぽの宿」70施設をオリックス子会社のオリックス不動産に譲渡する契約について、「オリックスの宮内会長は規制改革会議の議長をやり、郵政民営化の議論もそこでされた。そこに一括譲渡となると、国民が出来レースではないかと受け取る可能性がある」とコメントしている。
派遣切りとの関連 [編集]
宮内が推し進めた市場原理主義の結果として、今日の非正規雇用者が抱える「派遣切り」などの社会問題を生んだとの指摘がある。前民主党衆議院議員にして当時の民主党次の内閣・雇用担当大臣だった神奈川10区の城島光力と激しく対立。
宮内が城島に送った手紙についてサンデー毎日は、「民主党議員を激怒させた高圧的文言」という題名にて報道した。宮内から城島への抗議文については、城島が質問趣意書を提出[6][7]。衆議院の厚生労働委員会は宮内と奥谷禮子の一連の行動について、「議会制民主主義の基本的なルールを踏みにじるかつてない暴論である」との見解を正式に決定した。ちなみに当時の厚生労働大臣は公明党の坂口力。
球団オーナーとして [編集]
財界一の野球好きとして知られる。少年時代からの野球好きを自認し、還暦を越えてなお草野球で投手を務める程(ちなみに左投げ)である。1988年、社名を「オリエント・リース」から「オリックス」に改めるのに合わせ阪急電鉄から阪急ブレーブスを買収し、それ以降球団オーナーを務めている。
オーナーとしてはビジネスライクで知られ、球団経営にかける金額を出来るだけ低く抑えようとする姿勢から「ケチックス」と揶揄される事もある。地域密着より企業の露出を優先する姿勢も目立ち、「球団を持っていれば、あのNHKまでもが連日スポーツニュース等でオリックスの名を出してくれる。それだけで球団を所有する意味がある」と発言した事がある。このような経営姿勢が主因となりチームは90年代半ばの束の間の黄金期を終えると弱体化の一途を辿り、それと共にせっかく根付きかけていた本拠地神戸のファンも離れてしまった。球団合併後の今も基本的にその姿勢は変わっておらず、現在はリーグで唯一、球団名に地名を入れていない。
球団経営に関してはその手腕とセンスに疑問が持たれるが野球好きである事はまぎれもない事実であり、試合観戦は現12球団のオーナーの中で最も多く行っている。しかし、後述する球団合併問題や現在に至るまでチーム名の変更・本拠地の移転・球団OBの冷遇などファンの心理を省みない経営を強引に進めた結果、球団オーナーとしては「12球団で最も評判が悪く、史上最悪の足跡をプロ野球界に残した最低のオーナー」と評価されている[8]。こうした経緯もあり、現在では渡邉恒雄以上に宮内を嫌う野球ファンも多い[9]。
しかし清原和博がオリックス・バファローズに加入した2006年2月には、春季キャンプで球団オーナーとしてグラウンドに降りて清原を激励・バックアップしており、2008年途中に急遽、バファローズの監督に就任してチームを建て直した大石大二郎に対しては長期政権を望んでいる[10]。2009年も春季キャンプの視察を行った。
プロ野球再編問題での評価 [編集]
2004年プロ野球再編問題では球団合併の当事者であった為、新聞等のインタビューに「何がベストかわからない。1リーグが良いと言ったことは無い」と応えながらも、「1リーグ」推進論者と見なされた埼玉西武ライオンズ・堤義明、読売ジャイアンツ・渡邉恒雄両オーナー(いずれも2004年当時)と共にプロ野球ファンからの激しい批判を浴びた。宮内自身は合併騒動に関してインタビューなどで「球団の経営基盤を強くするため。広告宣伝だからいいという考えがプロ野球の一番の問題。これでは経営の合理化や改革は出来ない」と答えている。
そうした考え故に球団合併問題の際、東北楽天ゴールデンイーグルスの加入によってパ・リーグを6球団に戻す事に最後まで難色を示していた。しかし、世論やプロ野球ファン全体からの風当たりが日に日に強くなり、最終的には宮内が折れざるを得ない状況となった。
上述の通りあまりにも強引な手法のため、合併により選手分配ドラフトでオリックス側にプロテクトされた岩隈久志と中村紀洋はオリックス入りを拒否し、岩隈は義父の広橋公寿がコーチを務めているイーグルスに、中村はドジャースに移籍した(岩隈に関しては読売ジャイアンツ・高橋尚成との交換トレードも検討された。[要出典] 後に中村は帰国しオリックス入りするが球団上層部と対立し、6度に渡る契約更改で決裂した結果自由契約となった[11])。これらの強引な手法は現在でも球団経営と同様に疑問視されている。
関連項目 [編集]
* 兵庫県出身の人物一覧
* 経団連
* 経済同友会
球界 [編集]
* 上田利治
* 土井正三
* 仰木彬
* 石毛宏典
* レオン・リー
* 伊原春樹
* 中村勝広
* テリー・コリンズ
* 大石大二郎
* 井箟重慶
* 矢野清
* 雑賀忠夫
政界・財界 [編集]
* 御手洗冨士夫
* 福井俊彦
* 村上世彰
* 小池百合子
* 小泉純一郎
* 奥田碩
* 竹中平蔵
* 生田正治
* 西川善文
* 奥谷禮子
* 城島光力
脚注 [編集]
1. ^ 「現行労働者派遣法は、附則において、当分の間「物の製造」の業務について派遣事業を禁止しているが、製造業務の派遣事業に係る他国の状況も踏まえながら、これを解禁することも含め検討し、その結論を早急に取りまとめ、次期通常国会に法案の提出等所要の措置を講ずるべきである。」平成14年(2002年)12月12日 総合規制改革会議『規制改革の推進に関する第2次答申 7.雇用労働』
2. ^ 2003年度 第5回総合規制改革会議 議事概要
3. ^ 2003年度 第3回総合規制改革会議 議事概要
4. ^ 総合規制改革会議:設置法で定めた議事録作成せず
5. ^ 近年問題になっている格差社会や偽装請負の問題について指摘されると「パートタイマーと無職のどちらがいいか、ということ」と発言し物議を醸した。
6. ^ 総合規制改革会議議長より、衆議院議員・城島正光の委員会質問について出された文書に関する質問主意書 提出者城島正光、平成十五年七月二十五日提出、質問第一四二号、衆議院、第156回国会
7. ^ 衆議院議員城島正光君提出総合規制改革会議議長より、衆議院議員・城島正光の委員会質問について出された文書に関する質問に対する答弁書 内閣総理大臣小泉純一郎、平成十五年八月二十六日受領、答弁第一四二号、衆議院、第156回国会
8. ^ 近年はチームの成績が伴っているとは言えない状況であり、野球解説者の江本孟紀からは自身の著書を通して「宮内さんは本気でチームを強くしようとしているとは思えない」と痛烈に批判されている。
9. ^ 2003年に石毛宏典監督をシーズン途中で解任した時には、当時の読売ジャイアンツオーナーだった渡邉から「あれは監督の責任じゃない。宮内オーナーが悪いんだ。何せ一切、補強をしないんだから」と批判されている。
10. ^ 2008年オフに大石監督が今期のシーズン報告行った時には、自分で監督を交代しているにも関わらず「仰木さんを除いて、監督方とは長い付き合いをした事がない」と発言している。
11. ^ この一件では、中村を「自業自得」・「わがまま」と批判する意見もある。しかし自由契約後は落合博満・中日ドラゴンズ監督の計らいで育成選手契約でテスト入団し、その後実力が認められて支配下選手登録された。支配下選手登録後は2007年の日本シリーズでMVPに選ばれる等の活躍を見せて復活。その後もドラゴンズの主力選手として活躍し、2008年11月29日にイーグルスにFA移籍している。
外部リンク [編集]
* オリックス・役員詳細情報(宮内義彦)
* サンデー毎日記事(城島公式サイトより)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%86%85%E7%BE%A9%E5%BD%A6" より作成
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* 最終更新 2009年6月12日 (金) 13:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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自分でもよく分からない自分がいる。
Author:千家 清
山は削るためにあるものではない。山は恐れ多きものである。八魔ともいう。
2009年06月18日よりカウント
